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このページの作成にあたって、情報と資料の提供、取材、撮影にご協力頂いたみなさんに感謝します。
ちちぶ銘仙館 (2014年11月26日動画生成更新)

 さて、秩父といえば、昔から、秩父銘仙が有名ですが、現在は、その存続が問われる、 非常に厳しい状況にあるようです。最近の市報
  ・市報 秩父 2011年2月号
でも、そのものずばり、「秩父銘仙は生き残れるか」という記事が掲載されています。
 それによると、かつて秩父の産業と文化を支えてきた絹織物産業も、現在では、銘仙を製造する 織物工場は、市内にわずか数軒を残すまでに衰退しつつあるそうです。 そこで、秩父銘仙の技術継承と再興を目指し、昨年(2010)11月、 秩父織物商工組合・秩父織物協同組合・秩父捺染協同組合の3組合が一つとなり、「秩父織物振興協議会」が設立され、 国の「伝統的工芸品」の指定を受けるべく活動を開始したそうです。

ちちぶ銘仙館
 秩父銘仙の過去、現在を知るために、秩父市役所からも近い、「ちちぶ銘仙館」を訪ねてみました。
 このちちぶ銘仙館は、秩父市と秩父織物協同組合の委託契約のもとで運営されている施設だそうです。 ここでは、秩父絹織物に関係する資料の展示、染め織り体験、秩父銘仙の作成の工程を示す 機織や道具なども多数展示されています。 詳細は、ちちぶ銘仙館のホームページを参照。
ちちぶ銘仙館の入り口

 ちちぶ銘仙館の庭には、その成立の由来を記述した案内版があります。 以下、参考のために、その案内版の説明をそのまま引用して掲載しておきます。  この建物を直接設計したわけではないようですが、その外装に、20世紀を代表するアメリカ人建築家 フランク・ロイド・ライトの考案が取り入れられているというのはちょっと驚きですね。 ライト氏は、ル・コルビュジエミース・ファン・デル・ローエ と共に「近代建築の三大巨匠」と呼ばれているそうです。
〜染の織りの郷〜      ちちぶ銘仙館
                          所在地 秩父市熊木町二十八番一号
 この施設は、昭和五年九月に秩父絹織物同業組合(現秩父織物商工組合)が秩父地域の繊維産業の向上 と振興を図るために建築し、埼玉県秩父工業試験場を誘致いたしました。
 昭和五十八年四月に埼玉県繊維工業試験場秩父支場に改組され、秩父地域繊維産業の発展のために 大きな役割を果たしてきましたが、平成十年三月に県内工業試験場の再編・統合で廃止されることにな り、その後土地・建物が秩父市に譲渡されることとなりました。
 本館はアメリカ人建築家ライト氏が考案した大谷石積みの外装や昭和初期の特徴的な装飾との調和が 建築的に非常に優れており、三角屋根の工場棟や渡り廊下も含め、平成十三年十月に国の登録有形 文化財に指定されております。
 このたび、ちちぶ銘仙館として、秩父織物・銘仙等の歴史上貴重な史料の展示や伝統的な技術を伝承す るための施設として、昭和初期の面影を残した形で改修いたしました。
 秩父銘仙の歴史を建物をごゆっくりご覧ください。
  二○○二年一月                          秩父市

秩父銘仙と秩父織物の歴史
 秩父の絹織物業とその歴史に関しては、たくさんの本が出版されているようですが、次のような文献が知られています。

 ・「秩父織物変遷史」(埼玉県秩父繊維工業試験場編 1960年)
 ・「秩父地方郷土史雑考」(柿原 謙一 1993年 小石川書店扱い)
 ・「秩父地域絹織物資料集」(柿原 謙一 編 1995年 埼玉新聞社)
 ・「機織唄の女たち 聞き書き秩父銘仙史」(井上 光三郎 1980年 東書選書)

 1番目の資料は、少々古いですが、江戸時代から現代(昭和中期)に到る秩父地方の絹織物業の移り変わりを たどった変遷史です。これは、秩父繊維工業試験場の創立30周年の記念事業の一環として刊行されたもので、 この分野ではもっとも基礎的な文献と思われます。特に「明治中期より昭和初期まで」の章は、解(ほぐ)し捺染の発明の 経緯を含めて、大変に興味深い内容です。 この文献では、歴史だけでなくて、「なにが秩父織物を発達させたか」 という謎にも触れています。また、当時の秩父繊維工業試験場の組織や工場の内部の様子も知ることができます。  また、2番目は秩父の郷土史全般を取り扱ったもので(「埼玉史談」に掲載されたものを再録したものも多い)、 絹織物に特化した内容ではありませんが、その第二部、第三部には、近世から明治初期にかけ ての秩父の絹織物業に関する重要な論文がいくつか収録されています。  3番目は、秩父絹に関する近世からの昭和中期にかけての膨大な古文書や資料を収集して、読みやすい活字版の 資料としてまとめたものです。 4番目は、明治から昭和にかけて、機織りの主役だった女性たちの仕事と生活を 中心とした、秩父銘仙の歴史です。たとえば、「絹の里の女たち」の章は当時の機織りの実際の様子を伺える 非常に興味深い内容です。
 明治から大正時代における秩父の絹織物産業の発展については、次の論文が参考になります。
・原田洋一郎 「明治期〜大正期の秩父地域における絹織物生産発展の一側面」(歴史地理学調査報告 第7号 1996)
 秩父では絹織物業の衰退にともない、それに代わって昭和40年頃から電子機械部品など の製造業が地域の主力産業として急成長してきたといわれています(織物関連業者の機械・電 子部品製造業への業種転換)。詳しくは、下記の調査報告書
  ・「地場産業の変容とそこに生きる中小企業の対応」 (中小公庫レポート No.2002-4 2003年)
の「事例編 3.秩父:織物・機械」を参照。
 また、秩父銘仙の近年の動向に関しては、次の論文が参考になります。
 ・井深 智容 「秩父銘仙のこれから」(東洋大学 経営学部マーケティング学科 2005年)
 論文発表当時の、秩父銘仙を取り巻く実情、「秩父銘仙研究会」の活動の軌跡や、秩父銘仙の生き残りに向けた提言など興味深い 内容です。

 ところで、秩父織物の発展の歴史については、ちちぶ銘仙館が配布している資料に、簡潔かつ大変にわかやすくまとめられています。 ここでは、参考のために、「ちちぶ銘仙館」殿の許可を得て、 その資料から秩父織物の歴史に関する部分を一部抜粋して引用しておきます。ご協力に感謝します。
 秩父織物の起源は古く、古代には、知々夫絹(千々夫絹)と呼ばれた白絹の生産 が行われており、朝廷にも献上されたと伝えられている。
 鎌倉に幕府が開かれる頃より、ようやく生産も増え、その地風の堅牢さで鎌倉 幕府の関東武士の旗指物として採用されている。
 安土桃山時代に入ると、永禄年間には南蛮渡来の布地は、「名物切」「シマ物」(遠い島から 渡ってきた産物)と称し、茶の湯、武具などの飾り布として珍重されていた。 全国の機業地でもその布地の製織方法を競って研究していたが、秩父でいち早く 「シマ物」の製織に成功し、それが現在の秩父銘仙の始まりと言われている。
 鎌倉時代以後、やや衰退気味の絹布の製織を、北条氏邦の家臣で根古屋城の城代 浅見伊賀守慶延が奨励し、品質堅牢な「根古屋絹」を産出した。
 江戸初期には、幕府の衣冠束帯用に「根古屋絹」が採用され、その品質堅牢さは 「鬼秩父」「鬼太織」などと称され、武家の質実剛健な気風に合致して名を高めた。 江戸時代、秩父地方では養蚕と絹織物が盛んに行われ、秩父を中心に、小鹿野、吉田、 皆野、横瀬などの広範囲にわたる大規模な機業地を形成していった。
 明治時代に入ると、文明開化、西洋文化の流入にともない、生糸の輸出が主力となり、 秩父絹の生産は激減し厳しい状況に陥った。その中で、開発されたのが輸出できない ノシ糸やくず糸を活用した織物で、それが「秩父織」といわれる丈夫な「秩父太織」 である。明治27年には、品質の改良、管理などを目的に「秩父絹織物組合」が設立された。 さらに、明治41年「解(ほぐし)模様銘仙」が創案され、染織技術の改善、流行動向の 把握等に努め、「ほぐし模様銘仙」は「秩父銘仙」として、大正から昭和初期にかけて女性 たちの実用着、おしゃれ着として全国的に人気を博した。
 ほぐし模様銘仙もシマ銘仙も先染織物で、裏表がないのが特徴で、たとえ表が色あせても 裏を使って仕立て直しができる利点がある。「ほぐし模様」は、仮織りした経糸に前もって 模様を捺染し、緯糸を織り込んでいくもので、淡い色彩が優美な、素朴な織味が特徴である。
 戦後は、生活様式の変化により、着物の需要は激減し、秩父銘仙は現在、 趣味の着物地として数軒の機業家により伝統が守られている。
 現在の秩父山地は、伝統のほぐし模様は夜具地、座布団地などが中心に製造されているが、 近代設備を導入し、座布団カバー、こたつ上掛け、カーテン地、布団類等の寝装品の総合 産地となった。(ちちぶ銘仙館の配布資料より、一部抜粋、修正して引用)

ちちぶ銘仙館 館内図
ちちぶ銘仙館 館内図

多目的ギャラリー
 今年(2011年)、4月末に訪れた際には、多目的ギャラリー(展示室)では、「秩父太織〜糸作りからの手仕事展〜石塚工房」(4月〜5月末)と題して、 機織りや糸繰りの実演が行われていました。
秩父太織 石塚工房  埼玉県秩父市上町1−1ー17
 石塚工房は秩父太織生産技術を今後幾世紀に亘り継承される場として 故石塚賢一氏によって創設されました。
 石塚賢一氏は30余年に亘り産地に残る昔ながらの技法の 研究に力を注ぎ「丈夫で軽くて柔らかい」秩父太織の復元に こだわり続けました。
 平成8年、秩父太織生産技術は秩父市指定無形文化財に指定 され、同年、石塚賢一氏は同文化財の秩父太織生産技術保持者 に認定されました。
 石塚工房は現在も糸作りから織りまでを一人の作り手が行い
  〜時代に合ったもの作り〜
をモットーに秩父太織製品の生産をつづけています。
    (「秩父太織〜糸作りからの手仕事展〜石塚工房」より引用) 

秩父太織〜糸作りからの手仕事展〜石塚工房 いざり機 実演
秩父太織〜糸作りからの手仕事展〜石塚工房 高機 実演
秩父太織〜糸作りからの手仕事展〜石塚工房 糸繰り 実演
秩父太織〜糸作りからの手仕事展〜石塚工房 着物
秩父太織〜糸作りからの手仕事展〜石塚工房 秩父太織のバッグと小物入れ

秩父太織〜糸作りからの手仕事展〜石塚工房  秩父織物の変遷―秩父太織の位置付け―

秩父太織〜糸作りからの手仕事展〜石塚工房  秩父太織生産工程

秩父太織〜糸作りからの手仕事展〜石塚工房  秩父太織生産工程の詳細


展示直売所
 秩父銘仙の製品の展示直売所です。秩父銘仙の反物、着物、小物などが多数展示されています。
展示直売所

館内の体験コーナー
 館内には、繊維試験場時代の展示品だけではなくて、次のような体験コーナーが用意されいます(要予約、有料)。
型染    ハンカチ、巾着
ほぐし捺染 タペストリ
藍染    ハンカチ、Tシャツ
     コースター、花瓶敷
 以下、それらのコーナーの一部を写真で紹介します。
型染め 体験コーナー。

ほぐし捺染 新体験コーナー。

藍染 体験コーナー。

手織り 体験コーナー 高機織機。

動画で見る館内
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整経場の機械
 この銘仙館の「整経場」には、昭和30年代から40年代にかけて製造された、次のような機械 が展示されています。
・撚糸機  :撚り糸を作る機械。
・糸繰機  :枷(カセ)から糸を巻き取る機械。
・整経機  :タテ糸を織機に掛ける前の準備機。
・五本合糸機:五種類の原糸を引き揃えて合糸を作る機械。

袋錘撚糸機(ふくろつむねんしき) (昭和40年代製)。  リング糸、飾り撚糸、からみ撚糸等の撚り糸を作る。
イタリー式撚糸機 (昭和40年代製)。錘(太い針状の鉄棒)が左右のどちらかに回転し、糸に撚りを加える。
スタイロボビンワインダー(糸繰機) (昭和30年代製)。 整経機に掛けるタテ糸を枷(カセ)の状態からスタイロボビンに巻き取る機械。
ヨコ糸も同様に枷から巻き取り、管巻(ヨコ糸を巻きつける糸巻き)をする。

整経機 (昭和30年代製)。 タテ糸を織機に掛ける前の準備機。 個々のタテ糸を所定の本数・長さ・一定の張力にして巻き取る機械。



五本合糸機 (昭和40年代製)。  数種類の糸を引き揃えながら、合糸してボビンに巻き取り、撚糸機に掛ける準備機。
五種類の原糸で引き揃え合糸ができる。



秩父銘仙の製造工程
 ちちぶ銘仙館内には、秩父銘仙の製造工程を示す、次のような図が展示されています。
・秩父銘仙製造工程     :原糸から、たて糸、よこ糸、型紙、捺染、製品の製造までの作業手順図。
・糸繰工程         :繭から、乾繭、煮繭、繰糸、小枠浸透、揚返までの作業手順図。
・秩父織物ほぐし捺染製造工程:原糸から、たて糸、よこ糸、型紙、捺染、製品の製造までの作業手順図。
 下の図のように、繭から銘仙の製品を完成させるまでには、実に多くの工程が必要なことがわかります。 また、すべての工程が機械化されているわけではありません。たとえば、捺染工程のように、手作業に頼っている工程もあります。

秩父銘仙製造工程。ちちぶ銘仙館の休憩室の「秩父銘仙製造工程」の図から引用。
糸繰工程。ちちぶ銘仙館の糸繰室の「糸繰工程」の図から引用。

糸繰室
 上の工程の写真で示したように、繭から糸を繰り取る工程(糸繰工程)は、@ 乾繭、A 煮繭、B 繰糸、C 小枠浸透 、 D 揚返 の五つの工程からなっています。以下、ちちぶ銘仙館の糸繰室の「糸繰工程」の説明図より引用。
@ 乾繭(かんけん)
 生きている蚕の繭(まゆ)は、2週間ぐらいで蛾が羽化し、穴をあけてしまうため糸を繰り取る ことができなくなってしまいます。このため繭のうちに高温で乾燥し、中の蛹(さなぎ)を殺して、 繭を長期間保存できるようにします。乾燥は80℃の温度で16時間行い、乾燥した繭は重量で生きている繭 の45%(約1g)程度になります。
A 煮繭(しゃけん)
 繭は蚕が吐き出す1本の糸(繭糸)でできています。1本の繭糸は中心の2本の 繊維状タンパク質フィブロインの周りを、セリシンというタンパク質が取り込み、 これが接着剤となって、繭を固めています。繭から糸を繰り取るためには、この セリシンを柔らかくすることが必要です。この煮繭工程では繭を熱湯で煮てセリシン を柔らかくします。
B 繰糸(そうし)
 煮繭した繭から生糸を繰り取る工程を繰糸といいます。 繭から取れる1本の繭糸は、非常に細い(直径0.5〜0.6μm)ので 通常は9〜10粒程度の繭から一緒に糸を取り出し、これを合わせて 1本の生糸にして、小枠(こわく)に巻き取っていきます。  標準の生糸の太さは27d(デニール)で、9,000mで27gの重さです。
C 小枠浸透(こわくしんとう)
 繰糸機で小枠(こわく)に巻き取った生糸を、後の揚返工程でさらに 大枠(おおわく)に巻き取りやすくするために行います。小枠浸透槽のなかに 生糸を入れて、生糸に水を浸透させ小枠から糸がほどけやすくします。
D 揚返(あげかえし)
 生糸は、小枠のままでは合糸(生糸を何本か合わせて目的の太さにする)、 撚糸(ねんし:合糸した糸に撚りをかける)、精錬(せいれん:生糸をアルカリ 性の溶液で煮てセリシンを溶かし落とす)、染色(糸を染める)といった後の 工程に利用できないため、大枠(おおわく)に巻き返し、枠からはずして 綛(かせ:糸の束)にできるようにする作業です。

秩父地方は古くから養蚕・織物が盛んだった...
埼玉ブランド繭「いろどり」の由来。「いろどり」は、日本種「いろ」と中国種「どり」を掛け合わせた交雑種。
埼玉ブランド繭「いろどり」。
蚕の一生 LIFE CYCLE OF SILKWORM。
手動式の糸繰機。
糸繰室の機械。奥から、「1 生繭乾燥機」、 「2 煮繭機」、 「3 多条繰糸機」、 「4 小枠浸透槽」、 「5 揚返機」。

 最終更新日時: 2011年12月1日 Copyright (c) 2011 Antillia.com ALL RIGHTS RESERVED.