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札所8番 清泰山 西善寺

所在地
住所:埼玉県秩父郡横瀬町根古谷598

観音霊験記
 右の図は、下記の資料より引用した秩父札所八番清泰山(青苔山)西善寺の霊験記の錦絵です。 上部には霊場境内の風景画が描かれ、下部には霊場の縁起にまつわる逸話と挿絵が描かれています。
「観音霊験記」(埼玉県立浦和図書館所蔵資料)
 著者名:歌川広重(二代)、歌川国貞/画,服部応賀/編
 出版者:〔山田屋庄次郎〕
 出版年:江戸末期

 右の図の「観音霊験記」の下部の「霊場の縁起」については、次のような逸話が 記述されています。
唄念佛
當寺の本尊は恵心僧都の作にして、又弥陀の三尊もあり。今はむかし兵亂屡々おこりて、 神社佛閣も廃衰せしとき、一人の旅僧来りて、里人にむかいて、當寺の詠歌は何というと 聞きければ、取あへず大音に節をつけて唄ひ終わりて、かくの如く面白く、むかしは唄ひて 順禮せしとおしゆ。旅僧悦びてあらかしこし、その順礼歌は他に勝れたれば忘るゝことなかれ。 最早兵乱もしづまりて太平に復し、永く佛乗起るなりとしめして失せ給ふは、是圓通大士の應化 に在せば、間もあらず泰平となりて、繁昌すること不思議の霊験なり。


秩父三十四所觀音霊験圓通傳
 秩父札所の縁起については、江戸時代の延享元年(1744年)に発行された、沙門圓宗の「秩父三十四所観音霊験圓通傳」が 最も詳しい資料でしょう。慈眼寺から同書の復刻版 「秩父三十四所観音霊験円通伝」 (柴原保教 1976年) が発行されています。また、同書の翻刻版が「埼玉叢書 第三巻」(国書刊行会 昭和45年) と 「建部綾足全集 第6巻」(国書刊行会 昭和61年) にそれぞれ収録されています。 それには、西善寺について、以下のような縁起が記されています(以下、翻刻版より一部抜粋、ひらがな表記に変更して引用)。
第八番 青苔山西善寺(御堂四間四面南向)
本尊十一面觀音 立像御長七寸一分 恵心僧都御作
當寺本尊は僧都彫刻の彌陀の三尊とともに、有信の居士に與へたまひしを、此の地に安置し、三尊は別 院に入れ奉りて、朝夕拜したてまつる事年あり、今奥の院と云。しかるに中頃兵革屡起て、闔境の~社 佛閣悉く廢衰に至る。爰に一僧あり來て里人に問て云く、汝等巡禮の和歌や知りてある、里人の老たる 在て答て云、吾若かりし頃、諸國穏かにして人直く佛乗を信じて順禮の人多、長途の労を忘れんが為に 各詠歌に節墨譜付て諷つれ参詣せしぞかし、其時の詠歌吾よく覺へたりと。取あへず當寺の詠歌を吟詠 しければ、客僧悦てあな貴、賢くも此歌をなん思出たる、此歌は佗の詠歌より勝て有がたき詠ぞかし、 此意を忘れず行住坐臥に只稱名一行をはげませ、此地必久しからずして兵治り大平に復し、永く佛乗大 に起るべしと、かきけす如く失にける。あり合たる民皆不思議の思をなして皈りぬ。いく程なく四海昇 平の世となりて、果して此郡中に觀音霊場一時に繁栄の花開き、各菩提の菓を結ぶ時至りぬ。


清泰山西善寺
西善寺の山門


西善寺の本堂


西善寺の六地蔵


西善寺のなで佛


西善寺の如意輪観音


西善寺のコミネカエデ。埼玉県の天然記念物。樹齢600年。


西善寺のコミネカエデ。


 最終更新日時: 2011年8月27日 Copyright (c) 2011 Antillia.com ALL RIGHTS RESERVED.