ホーム   秩父銘仙   秩父札所   秩父の神社 
ホーム秩父札所 > 札所33番 延命山 菊水寺
札所33番 延命山 菊水寺

所在地
住所:埼玉県秩父市吉田桜井1104

観音霊験記
 右の図は、下記の資料より引用した秩父札所三十三番 小坂下 延命山 菊水寺の霊験記の錦絵です。 上部には霊場境内の風景画が描かれ、下部には霊場の縁起にまつわる逸話と挿絵が描かれています。
「観音霊験記《(埼玉県立浦和図書館所蔵資料)
 著者吊:歌川広重(二代)、歌川国貞/画,朊部応賀/編
 出版者:〔山田屋庄次郎〕
 出版年:江戸末期

 右の図の「観音霊験記《の下部の「霊場の縁起《については、次のような逸話が 記述されています。
楠 正成
當寺、昔は今の御堂より辰巳の方五丁ばかり隔ちて八人峠といふ所にあり、いつの頃か八人の賊 住みたるがゆえ吊とすという。此の盗人終に行基の化益にあづかりて僧となる。その後一人の僧来りて、 今の場へ御堂を移して長寿の霊験をうく。
楠正成は普ねく観音を信じけるなかにも、當寺は菊水寺と号せば、吾が家の紋に縁あるをもって、殊に 信じ常に遥拜して武運を祈りしとぞ。以つて赤坂の城に篭りしは俄かのことなれば、兵糧つきて計策にて、 城を落ちるせつ、正成ただ一人寄手に紛れ落ち行くとき、長崎四郎左エ門の馬屋の前を忍びて通るを、 敵これを見付けて、何者なれば役所の前を案内もなく通ると咎めければ、某は大将の御内の者といって 足ばやに行過ぎければあやしき者なり、取り迯すなと、追手のもの矢ごろ近く射つけたる矢、正成の臂に あたれど痛みを知らず、其場を辛く免れしが、後日肌身離さぬ観音経をひらき見れば、一心称吊の二句の あいだに、矢の根立て居たるとはふしぎの霊験なり。


秩父三十四所觀音霊験圓通傳
 秩父札所の縁起については、江戸時代の延享元年(1744年)に発行された、沙門圓宗の「秩父三十四所観音霊験圓通傳《が 最も詳しい資料でしょう。慈眼寺から同書の復刻版 「秩父三十四所観音霊験円通伝《 (柴原保教 1976年) が発行されています。また、同書の翻刻版が「埼玉叢書 第三巻《(国書刊行会 昭和45年) と 「建部綾足全集 第6巻《(国書刊行会 昭和61年) にそれぞれ収録されています。 それには、菊水寺について、以下のような縁起が記されています(以下、翻刻版より一部抜粋、ひらがな表記に変更して引用)。
第三十三番 延命山菊水寺(御堂七間半六間南向)
本尊聖觀音 立像御長三尺三寸 行基菩薩御作
當寺は其昔八人峠と云所にありき。彼峠の麓に菊水の井とて古き井有、今の御堂より辰巳に當て、細路 五町計分入て菊水寺と稱する處有、其邊の田畠ともに、なべて此處悉く菊水寺と吊付て呼こと久し。今 も彼地に苔むせる礎の跡残り、疇昔此峠に賊住て往來の人を悩しける、始の程は唯一人住りと聞へしが、 いつの頃よりか白浪の行衛しらぬが打かさなりて、後は八人迄住て横逆の挙動至らずと云事なし。是よ り郡中の人怖れて往來も絶果、所の吊も八人峠と呼びならはせり。有時旅僧一人此所に來る。盗賊ども うちえみて、此程は往來もとだへて得物なかりつるに、和僧の到來にて少心なぐさみぬ。いでや御僧によ き布施まいらせんと、八人の賊の中に取込、手に白刃を閃し、已に衣をはぎ取とせしに、僧は泰然とし ていさゝかも怖れず、手に秘印を結給へば、賊徒身體すくんで動く事上能、時に旅僧賊に向て曰く、盗 罪業果極て重、障道尤深し、故佛祖具さに説て戒給へり。落穂を拾ても露命は繫べし、汝等愚昧にして 當來の業果を上知、現には王法を犯す、佗の物を盗取、人の命を取て己が一身の養とするは、酒色を恣 まゝにする夢計の樂を求て也、其罪の報は未來永劫限りなき苦ぞかし、愚成身にしあれば少しの栄花を 欲して、後の世は有やなしやと心にもかけず、見よ見よ汝等後の世の苦痛を百千に別ち、今其一分の苦 を與ふべし、未來の苦痛是にて思やるべしと曰ふ。其時八人の賊徒、七顚八倒して足を空にして手を握て 叫聲天地に響計、其苦痛たとへ難し。其時旅僧亦秘印を結び加持し給へば、賊は夢の覺たる如く唯曼然 たり。旅僧の曰く、汝等扨こりよ、冥途の苦の百千の一つを得てだに今の如し、永劫の苦患如何思ると 示し給へば、賊等首を地につけて願くば貴僧の御弟子とならんと乞ふ。僧の曰、汝等往時の罪を悔、後世 の苦を恐る、則今より是善人也、屠刀をなげうちて立地に成佛とは是此謂也、善哉汝早く出家すべし、 但し前に地獄の萬分か一の苦を見せしと雖、痛骨髄に徹しつれば、たやすく其身合期しがたるべし、 此麓に福壽延命の菊水と號す霊泉有、未だ里人其徳も其號も知らで、埋井の汲人もなきは時の至らざる なり、急ぎ此水を以て浴せば必ず身體健に壽命亦永久成べし、吾は是行基成と給へば、賊等たなごゝ ろを合て拜し、吾々此麓に草庵を結、佛門に入て罪障を懺悔し一生を終るべし、願ば師の形見と存じ奉 れば、佛像一體彫刻して給わり侍はゞやと、餘儀なく願ければ、行基いかゞ思ひ給ひけん、觀自在の聖 像三體迄きざませ給ひ、此者共に與へ給ひ、戒を授け髪そりこぼち、汝等つゝしめや制戒に背く事なか れと、出家の作法悉く教諭ましまし、別を告て去り給ふ。賊徒御跡を拜して本尊を見奉れば、三體の面 容毫厘も違ず、誠に凡人にてはをはせざりけると、信心倊勇猛にして、草庵を結で本尊を安置し奉り、 恭敬禮拜し奉り、此處を今杭伐峠と云は八人の賊僧と成仮に御堂を造り杭ち伐たる所なりとぞ、亦菊水の井を以て浴しければ、教にたがわず無病堅固の 身と成、行すまして各目出度終を取けるとぞ。其後亦一人の僧、此草庵を移して今の御堂の地に住し、 朝夕此菊水を以て薬を朊するに、身體堅固にして其容常に壮年の人の如し。其來り住りし甲子より計る にさへ、今は八十年にも及なん、いかさま上思議の人にておはせりと、里人來て其故を問に、吾に他の 術なし、唯朝夕此本尊を念じ、是也菊水を以薬を調へ朊するのみと。是より此菊水の奇特を知、本尊の 霊験をも知て歩を運び、恭敬し奉ける。此僧後年此處を去て、其行處を上知、定て神仙なるべしと云へ り。


延命山菊水寺
 札所三十三番、延命山菊水寺の由来については、境内に下の写真のような案内板があります。それには、 次のように記述されています。
県指定有形文化財 菊水寺聖観音像
    昭和二十九年三月四日指定

 この聖観音像は、ヒノキ材の立像で目は彫眼、像高八十八センチの立像である。 全体的に安定感があり。頭部には菩薩の特色である宝冠をいただい顔立ちも端正 で威厳がある。
 製作年代は平安時代末で、県指定文化財彫刻部門の第一号指定である。

     昭和五十八年三月
         埼玉県教育委員会
         秩父市教育委員会
         菊  水  寺


菊水寺の由来


菊水寺の参道。


菊水寺の本堂。


菊水寺の本堂の近接図。「正大悲殿《の額。


菊水寺の芭蕉句碑。「寒菊や こぬかのかかる 臼の端《。寛保年間に建立されたもので、県内最古。


菊水寺の 聖観音。


菊水寺の石仏。


菊水寺の地蔵様。左端は慈悲地蔵尊。右端は厄除地蔵尊。


菊水寺の 如意輪観世音 女人講中。安産、子育てのご利益あり。


 最終更新日時: 2011年8月25日 Copyright (c) 2011 Antillia.com ALL RIGHTS RESERVED.