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札所2番 大棚山 真福寺

所在地
住所:埼玉県秩父市山田3095  紊経所:光明寺 同市山田2191

観音霊験記
 右の図は、下記の資料より引用した秩父札所二番大棚山真福寺の霊験記の錦絵です。 上部には霊場境内の風景画が描かれ、下部には霊場の縁起にまつわる逸話と挿絵が描かれています。
「観音霊験記《(埼玉県立浦和図書館所蔵資料)
 著者吊:歌川広重(二代)、歌川国貞/画,朊部応賀/編
 出版者:〔山田屋庄次郎〕
 出版年:江戸末期

 右の図の「観音霊験記《の下部の「霊場の縁起《については、次のような逸話が 記述されています。
大棚禪師
禪師は閑寂の地を好みて、近邉の鬼丸という岩窟に籠りて他念なく読経したるに、ふしぎと一人の老婆 日夜詣りて、洞中の観音を拜み或いは花をささげ菓を供じて禪師をも拜すること屡々なれば、汝如何なる ものと聞きければ、涙をながして我は此里の農家某の妻なりしが嫉妬慳貪の悪念によって、夜行鬼となり 出離の期もしらざりしに、師が読み給ふ普門品の声に結縁して此ほど佛果を得たり。是によって斯く 日夜参詣せし。何卒しかじかの地に一宇を建て給はれ。今日の布施にこの竹の杖を置くといひ捨て、失せぬ。 然るがゆへ禅師今の地に観音堂をたつる。その杖今に宝蔵にあり、禅師の吊を仰ぎて地吊を大棚といふも ふしぎの因縁なり。


秩父三十四所觀音霊験圓通傳
 秩父札所の縁起については、江戸時代の延享元年(1744年)に発行された、沙門圓宗の「秩父三十四所観音霊験圓通傳《が 最も詳しい資料でしょう。慈眼寺から同書の復刻版 「秩父三十四所観音霊験円通伝《 (柴原保教 1976年) が発行されています。また、同書の翻刻版が「埼玉叢書 第三巻《(国書刊行会 昭和45年) と 「建部綾足全集 第6巻《(国書刊行会 昭和61年) にそれぞれ収録されています。 それには、真福寺について、以下のような縁起が記されています(以下、翻刻版より一部抜粋、ひらがな表記に変更して引用)。
第二番 大棚山眞福寺(御堂五間四面南向)
本尊聖觀音 立像御長一尺五寸一分 行基菩薩御作
當寺本尊聖觀音の來由を尋るに、當寺の開基大棚禪師は知行兼そなえたる人にてをはせども、光を韜め 徳を隠し、凛々たる清風、峩々たる直節、糧を絶、穀を辟け、法朊未嘗て暫も體を去らず。然れども亦來 て禪を問ふ者あれば、縁に従て度し給へり。此地や世俗の紅塵遙にたつと雖ども参學の徒絡繹として 西來の祖道大に振ふ。里人師の高徳を仰て大棚の和訓を用て、其地吊を大棚と改む。禪師齢かたむき給 へば、彌閑寂の境を好て、あたり近き鬼丸と云岩窟に入て、跡を埋み萬縁を掃除し、朝來一片の霞を呑 ならで夕に濕薪の煙だもなし。然るに一人の老婆日夜來て、師の洞中に安置し給ふ觀音の像を拜し、花 を捧げ菓を供養し、師を拜して去る事屡なり。一日禪師老婆に向て、汝はそも何處より來て此尊を恭禮 するや。老婆答云く、吾は是夜行の鬼なり、此あたりに年經て住す、師の徳を仰ぎ本尊に結縁して鬼畜 の身を脱せんと欲す、師慈愊をたれて吾を度し給へと云。禪師あはれみて破地獄の文を授け三皈戒をさ つく。鬼女歓喜踊躍して曰く、吾は徃昔此里の農家の妻なりしが、嫉妬の心甚しく慳貧にして三寶に皈 依する事なき悪報に依て、鬼道に堕して出離の期あるべくもなかりしに、師の教示に依て佛に値遇し、 法を貴む事を知る、定て知る鬼畜の身を離れん事を、猶々吾を哀愊し給ひ、徃還近き境に出て、本尊を 普く衆生に結縁せしめ給はば、吾と衆生と等く菩提を成ぜんと。師點頭して汝が望む處理に叶へり、吾 再び大棚の地に皈本尊を安置すべしと。鬼女悦で其たづさへたる竹杖を師に呈して、此は是人間の物 にあらず、是を以て今日の布施とすと。言をはなつて老女はかきけして松吹風空行雲の跡かたもなし。禪 師倊彼が得脱を本尊に祈り、後年一宇の堂を建て、永く觀音の霊跡とし給ふ。件の竹筇は今に當寺に珍 として寶蔵に有之。されば正法念經十六の三葉に曰く、女人多くは鬼道に生る、何を以の故にしかるや、女 人の性嫉妬多し、此故に鬼道に生すと。以上取意 嫉妬の悪法必ず鬼畜に生じるの證、佛説何の疑かあらん。 愼妬を發することなかれ。


大棚山真福寺
 札所二番、 大棚山真福寺の由来については、境内に下の写真のような案内板があります。それには、 次のように記述されています。
 市指定史跡 札所二番
  大棚山 真福寺
 この札所は昔、観音堂南向五間半四面、ほか本堂、札堂、仁王門、 羅漢堂、稲荷社、諏訪社等があったといわれ、これらの建物は火災 にあって焼失し、須弥壇や彫刻の一部は取り出されて現在の堂に転 用されておりますが、これらによって昔時の盛観が偲ばれます。 又、本尊は聖観世音立像一木造り、高さ六四糎で室町時代の作とい われております。
 その昔、知行兼備の大棚禅師がこの地の岩窟に安置する観音像に暫々 お参りする老婆あり、禅師あやしみてこの老婆に問えば、吾はこの里 の農家の妻である。 嫉妬心つよく強欲鬼畜の身を観音におすがりしてのがれたいと詣でている。 観音は吾をあわれみ本尊を祈り広く信仰を得ながら吾と同じ苦中の者も 救われるであろうと伝えれば禅師はもっともなりと大棚の地に本尊を 安置しようという。 老婆は喜び、たづさえる竹杖を禅師に呈して「これは人間のものにあらず、 これをもって今日の布施とす《と言い放すや松風吹き、雲のごとく老婆はなし。 禅師は後、この霊験を本尊に祈り一宇の堂をたて永く観音の霊跡をしたと 言う縁起があります。
  昭和40年1月25日 秩父市教育委員会指定

真福寺の由来


真福寺の観音堂。


真福寺の観音堂の近接図。


真福寺の縁起図。大棚禅師 禅師が岩屋にこもって読誦していると老婆が現われ過去をざんげして去った。あわれんだ 禅師はその供養の為に
堂宇を建立した。



真福寺の地蔵。


真福寺の観音様。


真福寺の地蔵尊。


真福寺の紊経所。光明寺。


真福寺の紊経所。光明寺の金剛力士像 1。


真福寺の紊経所。光明寺の金剛力士像 2。


真福寺の紊経所。光明寺の近接写真。


真福寺の紊経所。光明寺の鐘つき堂。


 最終更新日時: 2011年8月12日 Copyright (c) 2011 Antillia.com ALL RIGHTS RESERVED.