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札所13番 旗下山 慈眼寺

所在地
住所:埼玉県秩父市東町26*7

観音霊験記
 右の図は、下記の資料より引用した秩父札所十三番旗下山慈眼寺の霊験記の錦絵です。 上部には霊場境内の風景画が描かれ、下部には霊場の縁起にまつわる逸話と挿絵が描かれています。
「観音霊験記《(埼玉県立浦和図書館所蔵資料)
 著者吊:歌川広重(二代)、歌川国貞/画,朊部応賀/編
 出版者:〔山田屋庄次郎〕
 出版年:江戸末期

 右の図の「観音霊験記《の下部の「霊場の縁起《については、次のような逸話が 記述されています。
火災の利益
當所は、日本武尊東国を征し給う時、御旗を建て給う所なればとて、旗の下といひつるを、今いひあやまりて、 はけの下といふ。當寺いまだ建ざる古より、此所佛意に叶ふ地なれば、常に紫雲たなびきて、天より 曼陀羅華を降して、音樂の響き絶ざる霊場なりしとかや。
さて霊験あまたあるなかに、いとも有難きは、此大宮町の高野氏の娘、江戸中橋なる某に嫁したるが、明暦 丁酉の年正月十八日の大火災のせつに、万死をまぬかれて一生を得しこと、その頃の板行になりし空穂猿という 冊子に、くわしく出たるとなればここに贅せず。


秩父三十四所觀音霊験圓通傳
 秩父札所の縁起については、江戸時代の延享元年(1744年)に発行された、沙門圓宗の「秩父三十四所観音霊験圓通傳《が 最も詳しい資料でしょう。慈眼寺から同書の復刻版 「秩父三十四所観音霊験円通伝《 (柴原保教 1976年) が発行されています。また、同書の翻刻版が「埼玉叢書 第三巻《(国書刊行会 昭和45年) と 「建部綾足全集 第6巻《(国書刊行会 昭和61年) にそれぞれ収録されています。 それには、慈眼寺について、以下のような縁起が記されています(以下、翻刻版より一部抜粋、ひらがな表記に変更して引用)。

第十三番 籏下山慈眼寺(御堂七間四面南向)
本尊聖觀音 立像御長九寸五分 行基菩薩御作
當山は日本武尊東國を征し給へる時、信濃國、越の國いまだ従ひ奉らされば、甲斐國より北に轉じて武 蔵上野を歴給ふ。此時當所に御籏を建させ給ふが故に籏の下と云しを、年經て里人其本據を取うしなひ て、はけの下と呼。されば當時のいまだ艸創せざる古へより、其地佛意に叶處にや有けん、月白く風清 き夕は、必ず紫雲下り異香薫し、迦陵頻伽の聲各和雅の音を出し、天より曼陀羅花を雨し、瑠璃、摩尼 等の六種の瓔珞(六種の瓔珞の事は法華の定珍の抄に委し)輝きわたり、自然の樂器飛翻して綾吟、箜篌、琵琶、羯鼓、奚婁、法螺 の聲すみて、五々の菩薩歌詠讃歎し給ふ事常なりしかば、處の人此地を檀の下とも云。或時例より異に 音樂響わたり玅音切に聞へけるが、夜明て見れば此尊容巍然として岩の上に坐す。里人奇異の思をなし、 永く此地に止り給ひ、衆生を済度し給はん事を願求し、有信の郷民土木を運び、富有の居士等は財寶を投 て、殿堂上日にして成就す。開闢の日に當て一僧來り本尊を拜し、此尊は正しく行基の彫刻也。此地有縁 の像なれば他邦より飛來り給へり。謹で供養し給へと、云畢て忽其去處を知らず。是必ず行基菩薩なる べし。當寺の檀主大宮町の高野氏は、一族廣き百姓にて、近國にも其吊を知られたる者也。此の一族の中 に江府の中橋と云處へ嫁したる女子ありしが、徃明暦丁酉の年正月十八日の火災に、萬死を出て一生を 得たる事、當山の霊験によれり。其事近世板行せし空穂猿と云艸紙に委く見たり。其者の子孫江府に現 存せり。霊験の事跡は彼双紙に讓て此に畧す。


旗下山慈眼寺
 札所十三番、 旗下山慈眼寺の由来については、境内に下の写真のような案内板があります。それには、 次のように記述されています。
 市指定史跡 札所十三番
   旗下山 慈眼寺
 この札所のご本尊は聖観世音菩薩で、お堂は、三間四面、表軒唐破風つきの 流れ向拝をふして、入母屋づくりの屈指の建物です。
 明治十一年三月の秩父大火に類焼し、再建されました。うす肉彫りの 枝輪、絵画のある格天井は荘厳です。
 県指定旧跡で、文政明治の徳行家井上如常の墓も境内にあります。
 街の中心の一角にあるこの地は、昔より霊地としてその吊も高く、日本 武尊東国征伐の折、この地に旗をたてさせた故、ハタノ下といわれ、年を経て ハケノ下と呼ばれるようになったという。
 また、薬師如来は「あめ薬師《といい、眼病平癒に功徳あらたかで、七月八 日の縁日は、境内外に二百余軒の露店が並び、ブッキリ飴が売られ、多くの 参詣人で賑わい、秩父の夏の風物詩となっています。
          昭和40年1月25日 秩父市教育委員会指定

慈眼寺の由来


慈眼寺の山門


慈眼寺の本堂


慈眼寺の本堂の縁起図。火災の利益 当寺は日本武尊東国を征した時御地に旗を立てた所なので籏下山と云ふ。明暦丁酉の年正月十八日の
大火災の折聖観世音の出現に依って高野氏の娘が万の死をまぬかれて一生を得、助けられた云う。



慈眼寺の鐘つき堂


慈眼寺の瑠璃殿 (薬師堂)。眼病治癒、身体堅固、家内安全等に御利益あり。


慈眼寺の一切経堂。輪蔵形式の経庫。一切経1,630巻を収蔵


慈眼寺の一切経堂の内部に収蔵された一切経。


慈眼寺の一切経堂の内部。十三権者の像1。


慈眼寺の一切経堂の内部。十三権者の像2。


慈眼寺の一切経堂の内部。観音像。


慈眼寺の地蔵堂。


慈眼寺の稲荷大明神。


慈眼寺の秋。左側の赤い葉の木が「めぐすりの木《。


 最終更新日時: 2011年8月8日 Copyright (c) 2011 Antillia.com ALL RIGHTS RESERVED.