ホーム   秩父銘仙   秩父札所   秩父の神社 
ホーム秩父札所 > 札所12番 佛道山 野坂寺
札所12番 佛道山 野坂寺

所在地
住所:埼玉県秩父市野坂町2−12−25

観音霊験記
 右の図は、下記の資料より引用した秩父札所十二番佛道山野坂寺の霊験記の錦絵です。 上部には霊場境内の風景画が描かれ、下部には霊場の縁起にまつわる逸話と挿絵が描かれています。
「観音霊験記」(埼玉県立浦和図書館所蔵資料)
 著者名:歌川広重(二代)、歌川国貞/画,服部応賀/編
 出版者:〔山田屋庄次郎〕
 出版年:江戸末期

 右の図の「観音霊験記」の下部の「霊場の縁起」については、次のような逸話が 記述されています。
甲斐の商人
徃昔、甲斐の國の商人某といふもの、この所を通路しける時、山賊ども五六人立出て着類を剥しうへ、 後の禍なからん為に引捕らへて切り殺さんとしけるゆへ、商人は迚も叶はぬ命と唯一信に南無観世音 と唱えしかば、肌の守のうちより光明電のごとく輝きければ、山賊ども眼を射られて開くことあたわず、 是によって立所に盗み取りたるものを返して侘言しければ、眼のひらきけるゆえ三四人は迯去りしが、 頭人は佛罰を恐れて、ただちに遯世して茲に住みけるうち、かの商人古郷より、聖徳太子の作り玉ふ 観音の像を持ち來れば、共に力を合せて当所に堂を建り。今の本尊は則これなり。


秩父三十四所觀音霊験圓通傳
 秩父札所の縁起については、江戸時代の延享元年(1744年)に発行された、沙門圓宗の「秩父三十四所観音霊験圓通傳」が 最も詳しい資料でしょう。慈眼寺から同書の復刻版 「秩父三十四所観音霊験円通伝」 (柴原保教 1976年) が発行されています。また、同書の翻刻版が「埼玉叢書 第三巻」(国書刊行会 昭和45年) と 「建部綾足全集 第6巻」(国書刊行会 昭和61年) にそれぞれ収録されています。 それには、野坂寺について、以下のような縁起が記されています(以下、翻刻版より一部抜粋、ひらがな表記に変更して引用)。
第十二番 佛道山野坂寺(御堂七間半西向)
本尊子安觀音 立像御長五尺 聖徳太子御作
當山の本縁を尋るに、徃昔甲斐國の商人毎年此國に通ひ來て交易する事、已に十有餘歳。一年例の如く 種々の具を齋持して、遙けき六十里越とかや云險路を經過し、秩父路に差掛て左右前後徃復の人もなく、 只一人通ひ馴し旅とは云ながら、心細くたどり行處に、山賊四五人出來て此商人を中に取籠て、持てる 財は云も更也、着たる衣をさえ剥取ぬ。商人は漸く肌を隠せる一重の衣のみにて迯徃を、山賊一人追來 て汝を免やらば、後いかなる禍や仕出してん、所詮切殺して吾々が後難を除くべしと、取て引よせ害せ んとす。商人一心に南無觀世音と唱、不思議や商人が肌にかけし守袋の中より光明燐然と輝、山賊が眼 を射て開き見る事あたはず。悪眼を以て視事だにあたわじとの佛説誠成哉、況や害を加えん事をや。山 賊刀を捨て伏まろびぬ。残る盗賊等が耳には商人が一心稱名の聲百千人同音に唱ると聞て大に驚き、盗 とる財寶衣類悉く捨て迯去ぬ。彼刀を取て向ひし賊は、忽發機して賊取りし品々を商人に皈し與へ、髪 押切遯世者と成す。商人は不思議に命助かりて國に皈り、古里の人に此事を語れば、聞者随喜せずと云 者なし。斯て此商人本國の山陰に大師手づから彫刻し給ふ聖觀音立像五尺の尊體、年久しく小堂に坐し 霜露に朽させ給ふを、兼て再興の志ありしが、此度の霊瑞に彌信心増長して、所詮此山陰に埋れ朽させ 給わんが心苦ければ、吾一命を助かりし秩父にもり奉らん、彼地は觀音有縁の霊地なればと思ひ定て。 遙々と負來て再山賊に出逢し山路に差かゝり、徃事を思出で佛名を唱ふる處に、不図も右の山賊の遯世 したるが此處にて出逢ぬ。互に不思議の再會を嘆じ、相共に力を合て本尊を此地に安置す。其後數回の 星霜を經て此盧舎池魚の災に掛りし時、金毘羅~現じ給ひ、聖容を脇にはさみ、飛で當山今の地に來て 岩上に差置て去り給いき。其後今の地を永く安置の道場と定め奉りぬ。


佛道山野坂寺
 札所十二番番、 佛道山野坂寺の由来については、境内に下の写真のような案内板があります。それには、 次のように記述されています。
秩父市指定史跡
  秩父札所第十二番
  臨済禅宗南禅寺派
  佛道山野坂寺

 此の札所の開創当時(室町時代)は、野坂堂と称する 観音堂で現在の本堂の裏山の中腹にありました。
 野坂寺は別の所にあって札所十二番の野坂堂の別当職 を代々つとめていましたが寛保元年野坂寺六世佛海和 尚が寺を現在地に移して野坂堂と一体になりました。重層 入母屋造りの山門は同年代の建立で、左右の花頭窓 の内には十王像が安置されている。本堂(白華澱)は 昭和四十八年再建された正面八間半・奥行七間・向拝を ふした入母屋造りで観音堂と寺院本堂を兼備した形式で あります。
 御本尊は聖観世音菩薩立像杉の一本造りで内ぐりがあり 高さ一五六糎の等身大で藤原時代の地方の代表作と云われ ている。
 縁起によるとその昔、甲斐の商人が絹の高い秩父 へ来て当所に至りて賊に遭遇し命も危ない時、一心に 観世音を唱えると不思議にも賊難を免れた。後に甲斐より 秘蔵の観世音五尺の立像を当所に安置しお堂を建立したと 伝えられている。

野坂寺の由来


野坂寺の山門


野坂寺の山門の風神、雷神、山の神


野坂寺の山門の十牛観音


野坂寺の山門の中央のあずかり観音


野坂寺の山門の裏側。


野坂寺の本堂。


野坂寺の本堂のふれあい観音


野坂寺の本堂の縁起図。仏道山野坂寺 此の地にて甲斐の商人山賊に襲れた。守袋の観音像から光が 出て山賊の目を射た。以来山賊たちは
仏道に精進する様になったと云ふ。



野坂寺の本堂の右手のお堂。子授け観音と、呑龍上人が祀られています。


野坂寺のハス。


野坂寺の 十三尊仏像堂。高橋敬秀 氏寄贈の十三仏、風神、雷神、雨神の中の「十三仏」を安置しています。


野坂寺の 十三尊仏像堂。高橋敬秀 氏の仏像寄贈を伝える記事。


野坂寺の 十三尊仏像 1。


野坂寺の 十三尊仏像 2。


野坂寺の 十三尊仏像 3。


野坂寺の 十三尊仏像 4。


野坂寺の 十三尊仏像 5。


野坂寺の 十三尊仏像 6。


野坂寺の 十三尊仏像 7。


 最終更新日時: 2011年8月17日 Copyright (c) 2011 Antillia.com ALL RIGHTS RESERVED.