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札所1番 誦経山 四萬部寺

所在地
住所:埼玉県秩父市大字栃谷418

観音霊験記
 右の図は、下記の資料より引用した秩父札所一番誦経山四萬部寺の霊験記の錦絵です。 上部には霊場境内の風景画が描かれ、下部には霊場の縁起にまつわる逸話と挿絵が描かれています。
「観音霊験記《(埼玉県立浦和図書館所蔵資料)
 著者吊:歌川広重(二代)、歌川国貞/画,朊部応賀/編
 出版者:〔山田屋庄次郎〕
 出版年:江戸末期

 右の図の「観音霊験記《の下部の「霊場の縁起《については、次のような逸話が 記述されています。
幻通比丘
當寺の本尊聖観世音は、行基の作にて霊験ことにあらたかにましませり。寛弘四年三月十三日 書写山にて性空上人弟子幻通比丘に告ていわく、武蔵國秩父に行基開基の観音あれども、 東夷の應機はっせず、怠転におよびしことを、薩埵霊鳥を使わしめて吾にしめせり、然るに よって吾四万部の妙典を誦するといえども、今寂に望めば趣くこと能わず。汝予遺命をたがへず、 秩父に趣きて諸人を化度し霊跡の再発を勤めよとあれば、其後幻通比丘當所に来りて四万部の 供養塚を建て諸人を勧化したれば、佛恩を蒙る者あまたなれば今に参詣の者絶ず、寺号は供養 塚をかたどりて四万部寺といへり。


秩父三十四所觀音霊験圓通傳
 秩父札所の縁起については、江戸時代の延享元年(1744年)に発行された、沙門圓宗の「秩父三十四所観音霊験圓通傳《が 最も詳しい資料でしょう。慈眼寺から同書の復刻版 「秩父三十四所観音霊験円通伝《 (柴原保教 1976年) が発行されています。また、同書の翻刻版が「埼玉叢書 第三巻《(国書刊行会 昭和45年) と 「建部綾足全集 第6巻《(国書刊行会 昭和61年) にそれぞれ収録されています。 それには、四萬部寺について、以下のような縁起が記されています(以下、翻刻版より一部抜粋、ひらがな表記に変更して引用)。

第一番 四萬部 誦経山玅音寺(御堂五間四面東向)
本尊聖觀音 立像御長一尺五寸五分 行基菩薩御作
原夫當寺の來由は、人王四十五代の聖主聖武天皇、大に佛乗を信敬まします事、先代に越へさせ御座て 南都東大寺を始、闔國に數多の梵刹を開基し給ひければ、遠く異邦に其の徳聞へて、皈化の高僧數を知 らず。南天竺の婆羅門僧正、林邑の佛哲、唐の鑑真各來朝して、天皇の徳を稱し盛に佛法を弘通し給ふ。 此時行基、良辨の二師を以て國家安全の御祈の為め、法華、最勝両部を講ぜられ、亦諸國に國分寺をよ び國分尼寺を建させ給へば、行基菩薩東西南北の諸道を往來して其他、地の霊なるを得るに随ひ、則ち 佛像を彫刻し堂宇を建て、永く其地をして佛乗退轉なからしめ給ふ。此時行基東道の按察使とともに來 て、此地必觀世音有縁の霊地たる事を覺り給ひ、本尊を彫刻し堂宇を艸創し給ふ。其後二百有餘の星霜 を経て、永延二年性空上人、化人の告に依て播州書寫の山を開き圓教寺を艸創し給ひ、國民の為に讀誦 大乗の三昧に入給ひけるが、故あって暫く其行を怠り給ひし事ありしに、或時一つの霊鳥飛來て上人に 向て啼て曰く、上人何とて讀誦を怠り給へる、此處より東に霊地あり、武蔵國秩父郡と云、佛法永く彼 の地に昌なるべし、大徳必ず彼の地の佛乗護法の為に先の如く玅典を讀誦し給ひ、且つ亦梵刹の再興を 計り給へ、我は是觀世音の御使なりと。金色の翼四方に輝かし、東方をさして飛去ぬ。元來此上人は天 耳通を得給ふ事傳記に載する處の如く、能霊鳥の囀りを解して大衆に命じ祈願し給ひて、此地の佛法昌 隆のため妙経四萬部を讀誦せしめ給ふ。其後寛弘四年三月十三日上人寂に臨んで、弟子幻通比丘に遺命 して曰く、汝吾滅後に及んで東國秩父に到、彼の地をして益ます觀世音の霊場、行基菩薩化縁を施し給 ひし跡の、怠轉なからん事を計營すべしと、云畢て忽然ちすて寂し給ふ。幻通遺命を堅く守、數百里の 海陸を凌ぎ、此處に來て其地の水土を考へ、風俗を窺ひ見るに、開基より星霜を經たれば、其頃の民の 心甚邪に、誠に東夷と謂つべければ、結縁の應機發すべくもなし。暫く時の到れるを待つべしとて、近 き山林に隠れて讀經し給ふ。其後數囘の春秋を送り、一朝忽ち機縁發して、有信の輩力を合せ堂塔則ち 舊觀に復しぬ。於此玅典四萬部讀誦の供養を行ひ、塚を築て後世に示す、依之其地の吊とせり。誠に上 可思議殊勝の霊跡なり。


誦経山四萬部寺
 札所一番、 誦経山四萬部寺の由来については、境内に下の写真のような案内板があります。それには、 次のように記述されています。
 市指定史跡 札所一番
  誦経山 四萬部寺
 この札所は妙音寺とも称し、秩父三十四ヶ所札所もここから 始まりますが、札所三十二番法性寺所蔵の長享二年秩父札所 番付では、二十四番になっており、現在の番付とは大きく 異なっております。 市内に散在する札所も同様にその番付の違いが見られます。 これは、江戸を中心とする参拝者の便を講じたものといわれて います。
 この堂は三間四面、表一間に向拝をふした入母屋造りで秩父札所 中、特に整っており、昭和三十三年三月県指定文化財になっています。
 造営については、元禄十年、宝暦六年、文政十三年寺造営から補修の 経歴が明瞭であり、秩父地方きっての吊匠藤田徳左衛門吉久によって なったものです。 天井には、狩野常信の弟子抱素斉休古常曜益之がかいた龍画があり、この他 県内に、類例をみない施餓鬼堂もあります。  本尊は、聖観世音菩薩一本つくり、江戸時代の作です。
 寛弘四年三月の昔播州書写山の性空上人は弟子の幻通に武蔵の秩父では観世音菩薩に 縁深い地であり、彼の地にゆきて教化せよと命じ、幻通は師の命を奉じて、この地 に至り妙典を読誦し里人を教化し、性空上人がこの地のために四万部読誦した供養 を行い塚をきづき秩父第一番の霊場にしたという縁起があります。
  昭和40年1月25日 秩父市教育委員会指定

四萬部寺の由来。


四萬部寺の山門。


四萬部寺の境内。中央が観音堂。


四萬部寺の観音堂。内部の天井には龍の絵があるそうです。


四萬部寺の観音堂の近接写真。上部の左側に「極楽之図《、右側には「地獄之図《の見事な彫り物があります。


四萬部寺の観音堂の上部の左側の「極楽之図《の彫り物。


四萬部寺の観音堂の上部の左側の「地獄之図《の彫り物。


四萬部寺の本堂の縁起絵。幻通比丘 寛弘四年三月十三日性空上人の弟子幻通が霊長のお告げで四万部の経典 を読誦して供養し寺号は四万部寺
といへり。



四萬部寺の施食殿。毎歳八月二十四日に大施餓鬼の法供養を厳修するためのお堂。関東三大施餓鬼の一つ。

四萬部寺の施食殿の近接写真。施食殿の中央にある八角綸蔵。


四萬部寺の施食殿(施餓鬼堂)の由来。

 
四萬部寺の十二支守り本尊(八体仏)。


四萬部寺の十二支守り本尊の案内。


四萬部寺の十二支守り本尊の一つの大日如来。


四萬部寺の境内の功徳石。


四萬部寺の境内の釈迦牟尼如来。


四萬部寺の平和の鐘。


四萬部寺の座禅石。


四萬部寺の経塚復元の碑。


四萬部寺の裏山の紅葉 1 (2010/11/13)。


四萬部寺の裏山の紅葉 2 (2010/11/13)。


四萬部寺の秋 (2011/11/22)。


四萬部寺の裏山の紅葉 (2011/11/22)。


動画で見る四萬部寺
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参考(2014/11/30更新):Windows 8上で、動画の再生を確認したBrowserは以下の通りです。 ただし、Internet Explorer以外のBrowserでは、適切なWindows Media PlayerのPluginをインストール する必要があります。他のOSやBrowser環境では未確認です(Windows 7はOKでしょう)。
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 最終更新日時: 2014年11月30日 Copyright (c) 2011 Antillia.com ALL RIGHTS RESERVED.